《不再戦・平和》を発信するアーカイブ館
展示案内(常設展示)
アジア・太平洋戦争における日本の戦没学生を中心に、彼我あらゆる戦争犠牲者にかんする資料(遺稿・遺品などの原資料、活字・映像資料その他)を広く収集して展示します。「わだつみの悲劇を繰り返さない」誓いを後世に伝えていく施設として、常設展示のほか、特別企画展示をおこないます。■戦没学生の遺稿・遺品の展示
●学徒出陣へ
出陣学徒壮行会。冷たい雨の降る中、東京、神奈川、千葉、埼玉各県77校からの出陣学徒が東京帝大を先頭に分裂行進を開始すると、スタンドを埋めた学友、先輩を送る中学生、女学生たち6万5000人が帽子やハンカチを振り、歓声をあげて迎えた。=43年10月21日、東京・明治神宮外苑
●大陸の戦野から
日本の中国への侵略は、1931年の柳条湖事件による満州占領から新局面に入り(満州事変)、37年に廬溝橋における衝突から日中全面戦争と なった。緒戦で軍事上優位に立った日本軍だが、確保できたのは点と線(都市と鉄道)だけで、広い地域の住民を支配することはできなかった。しかも戦時国際 法を無視して略奪・暴行・虐殺行為を繰り返す日本軍に中国民衆の反感は増大する一方だった。●戦火は太平洋上へ
1939年、ヨーロッパで大戦が勃発した。40年、日本・ドイツ・イタリアは三国同盟を結び、41年、独ソ戦を機に 日本は南進した。南方の資源確保をめざして、アメリカ・イギリスとの対立を深め、ついに12月8日、日本はマレー半島上陸・真珠湾攻撃をしかけて、アメリ カ・イギリス・オランダなどとの太平洋戦争に入っていった。緒戦で日本は占領地を拡げたが、連合国軍の反撃で次々に後退していった。●「学徒出陣」とは──
1943年10月、政府はそれまで大学・高校などの在学生に認められていた徴兵猶予の措置を文科系学生について停止しました。これは各戦線においてとくに下級将校の不足が著しく、すでに軍事教練を受けていた知識・能力ある青年を戦闘に注ぎ込む軍事的要請のためです。先 に徴兵されていた同世代の青年たちの後を追い、学生たちは急ぎ各自の本籍地で徴兵検査を受け、合格者は、陸軍は12月1日に入営、海軍は12月10日に入 隊しました。この徴兵猶予停止の措置により、在学中のままの、あるいは、繰上げ卒業させられた徴兵を「学徒出陣」と呼びますが、広義には、大学など高等教 育機関を卒業(中退)して職業生活をほとんど経験せず直ちに戦争に動員された青年たちの徴兵を言います。●敗戦への道
日本の陸海軍はアジア・太平洋の全域で、制空権・制海権を失い、作戦の失敗と補給難により各戦場で「玉砕」(全滅)を重ね、多くの餓死者・病死 者を出していった。追いつめられた日本軍は、1944年10月のフィリピン戦線以後、特別攻撃隊の編成により反撃を試みた。特別攻撃とは操縦する航空機・潜水艇・小型舟艇に爆薬を積み、敵の艦船に体当たりする戦術である。短期間に訓練された学徒兵が多く特攻隊員に選ばれた。他方、アメリカ軍は日本本土の諸都市に無差別爆撃を開始し、非戦闘員である市民に多数の被害者が出た。●戦後に
1945年8月、アメリカが広島・長崎に原爆を投下し、ソ連が参戦したため、日本はポツダム宣言を受諾し、連合国にたいし無条件降伏した。戦争による日本人の死者は約310万人、中国や東南アジア・太平洋における連合国側の死者と戦闘に巻き込まれた民衆の死者は、その何倍にものぼり、彼我の戦争犠牲者は約二千万人に達した。戦争が終わっても、戦病死は続いた。裁判による戦犯処刑死もあったが、その中には、上官の命令に 従って戦争犯罪に問われた下級兵士や、動員された朝鮮・台湾出身の兵士・軍属が多かった。●戦没朝鮮人学徒兵の遺稿と関係資料の展示
1938年から朝鮮人には志願制で軍務が課され、43年3月に徴兵制が法制化されます(実施 は44年4月)。43年10月の「学徒出陣」、44年1月20日の「朝鮮人学徒出陣」は、形式上は「志願制」でしたが、実際は強制的なもの。朝鮮人学徒兵 の中には、軍隊内で抵抗運動を起こしたり、連合国側に加わったり、脱走に失敗し軍法会議で処刑された者がいました。●戦没学生の遺影
戦没学生の手記『きけ わだつみのこえ』(第1・第2集)に遺稿が収録されている戦没学生のうち、ご遺族から当記念館に寄託された遺影をかかげます。●日本戦没学生記念会(わだつみ会)の歴史資料の展示
1949年の『きけ わだつみのこえ』(第1集)の出版を機に発足して(1950年)から現在まで、わだつみ会が歩んだ道のりを、第1集・第2集の各版の刊行史と戦後の平和運動の歴史のなかでふりかえる資料を展示します。●文書・図書資料の公開(閲覧コーナー)
階下の書架・文書コーナーに収納されている活字資料の閲覧席です。卓上には当館訪問者からのメッセージを寄せ書きしていただくノートが置かれています。●映像・音声資料の公開(視聴コーナー)
映画「きけ、わだつみの声」(1950年=旧作・1995年=新作)をはじめ、アジア・太平洋戦争にかかわる内外の映像ドキュメンタリー資料や劇映画のビデオ・DVDなどを視聴できます。●戦没学生記念像「わだつみのこえ」
北海道生れの彫刻家本郷新(1905~1980)の代表作のひとつで1950年の作品(原型)。わだつみ会の委嘱により制作されました。鋳造されたブロンズ像は東京大学構内の建立計画が拒否されたために、立命館大学構内に設置されました。その後全国各地に数体建てられています。日本平和文 化賞を受賞しました。遺品の寄託と資料提供のお願い
戦争体験を伝承するための各種資料の収集をおこないます。お手許にあって、寄託・提供してくださる資料の目録を当記念館までお送りください。
記念館は小さいながらも、学徒兵を中心とする戦争体験の総体として展示の主題とできるよう、戦没学生の遺品に限らず、次のような広汎な各種資料の収集をめざします。(いずれも、原資料、活字・映像による二次資料を含む広義の資料です)
戦没学生の遺稿・遺品、生き残った学徒兵に関する資料、台湾人学徒兵・朝鮮人学徒兵に関する資料、日本軍隊と行動の実態に関する資料、第二次世界大戦に加わった諸外国の学徒兵に関する資料、「学徒出陣」にいたる戦争動員と教育統制に関する資料、戦争下、国民各層・各世代(農民兵士・動員学徒・疎開学童・女性などなど)の生活に関する資料、植民地の人々に強いた生活に関する資料、占領地の人々に強いた生活に関する資料、『きけわだつみのこえ』編集に関する資料、わだつみ会に関する資料、戦争記録・戦争文学・映像作品、戦争体験論・戦争責任論、天皇と天皇制論などなど。
とりあえず、お手許にあって、寄託・提供可能な資料の目録を、当会宛てお送りいただけませんか。(記念館にて収集・保存の可能性と参考とさせていただくためです)
なお、資料をご寄託いただく際、責任をもって保管、さらに記念館の充実のため、保管協力費をお願いする場合もございます。予めご了承ください